カオスな試合
多くの新入生の入会に伴い、女子チーム、1年生チーム、2・3年生チームの3チームを編成し、1年間そのチームで戦うこととした。この2・3年生チームというのが現在の早大茶道部の原型だ。
練習もメンバー揃うチームはチーム単位で試合形式の練習を行うようした。しかし、ぼくら2・3年生も経験があるとは言え素人に毛が生えた程度、ましてや1年生は未経験者しかいなかった。すると試合は互いにストレートを一心不乱に投げ合うものとなってしまうのだ。
「このまま練習していても絶対に勝てない」
新山で多くの強豪チームを目の当たりにしていたからこそ2・3年生は厳しい現状を理解することができた。
強豪チームの試合は壁に隠れる相手を狙うロブショット(ロブ)とストレートを上手く組み合わせて戦う。時には個人技で相手を狙い、時には仲間と連携して相手を狙うのだ。戦い方にはメリハリがあり、秩序を感じられるなのだ。一方でぼくらの試合に秩序など存在しなかった。
「どうすればあんな風に戦えるのか」
教えてくれる人は誰も居なかった。自分たちの手で答えを掴み取る他なかった。
雪合戦と比較して高校時代に戦ってきた受験という競技は単純だった。志望校という倒すべき敵が明確で、そのためにやらなければならない練習(勉強)も明確だ。レールに乗り、努力さえすれば敵を倒すことできた。
しかし、雪合戦は倒すべき敵はイメージがつくのだが、そこに至るまでのレール、努力の対象が不明瞭だった。すなわち、志望校は決まっているのに取り組むべき参考書が分からない状態だった。
「努力をしたいのに努力の方法が分からない」
思い返せば部活も受験も決められたレールを走り続ければ目標を達成することができた。目の前のやるべきことを取り組み続ければ結果が出た。一方で雪合戦は何に取り組めばいいのかが分からなかった。
参考書はYoutube
ある時Youtubeを眺めていると雪合戦の試合がアップロードされていることに気づいた。
「強豪チームの映像からぼくらのやるべきことが見出せるのではないか?」
ぼくらの取り組むべきこと、その答えを探すため試合映像を観あさった。はじめはただぼんやりと「うまいな〜」「すごいな〜」と観戦者として映像を観ていた。そして練習で真似してみようと試みたが、うまくプレーを再現することが出来なかった。
技術が不足している部分も大きいが、何よりも強豪チームのワンプレーワンプレーがどのような場面でどのような狙いを持って起こっているのかを理解していなかったのだ。つまり、試合映像という参考書で公式を暗記したが、その公式をどの問題で使うべきかまで理解が及んでいなかったのだ。
そうと気づいてからは、「なぜそのプレーが起こったのか」という視点で動画を見るようになった。すると強豪チームは投じる雪球に意図を持っていることがわかった。1球1球、なぜそのタイミングでその相手に球を投げたのかを説明することができるのだ。
その雪球の使い方の意図を解き明かしていく作業はぼくの知的好奇心を満たすには十分だった。そんな試合映像の見方を覚えてからは、動画研究はぼくの趣味となっていた。
わせ雪 雪合戦ラボ発足
動画研究に没頭していたのはぼくだけではなかった。
あるときもっちーに「N回のあの試合の・・・」と話しかけると「それはああでこうで・・・」とぼくの研究を遥かに上回る研究結果を提示された。自身の研究を上回られたことは悔しかったが、研究結果を語り合うことができる仲間を見つけたことが嬉しかった。
そして動画研究という高尚な遊びはチーム内へと広まっていった。練習帰りの電車の中では各々の動画研究の成果をプレゼンするのがお決まりだった。最終的には電車内で語るだけでは物足りなくなり、会議室を借りてプロジェクターで試合映像を投影しながら皆で研究を行うようになっていた。
チームで動画研究を深めていった結果、チーム内に規律が生まれた。映像を通して様々な場面をチームで共有することで、場面毎の最適なプレーをそれぞれがインプットすることができたのだ。
すると練習での取り組み方も変わっていった。ただ球を投げ合い、当てた・当たったで一喜一憂していた集団が、1セット毎にプチ反省会を行い、場面毎に最適なプレーがなされていたかを振り返るようになったのだ。そのような心構えで練習に臨んだ結果、ようやくスポーツ雪合戦らしい動きをできるようになった。
動画研究こそが周囲に知見者のいなかった早稲田雪合戦の会のチームレベルを向上させてくれた。
(つづく)