成長痛
2017年に入ってからは毎朝の早起きの甲斐もあり、安定して週2回の練習を行うことができていた。
練習の中身も強豪チームの試合映像を研究することで各人の技術が高まり、日に日にレベルが上がっていた。
練習の"量"と"質"2つの歯車が上手く噛み合い、春先は素人同然だったチームが秋口には雪合戦らしい動きをできるようになっていた。
しかし、秋頃から徐々にチームの成長に停滞を感じるようになった。
練習では毎度毎度戦う相手が変わらない。すると「〇〇は頭下げたらストレート来るぞ」や「〇〇は肩弱いから前に上がってもOK」など"力と力のぶつかり合い"ではなく"癖の読み合い"となってしまうのだ。
当然、大会では初見の相手と戦うことが多いため、実戦で求められる能力が上手く養われていなかった。いわゆる練習のための練習が日々行われていたのだ。
試合のための練習を行う。そのためには対外試合を行う必要があった。
勝つことは難しい
対外試合を行うと言っても、雪の無い東京を拠点に活動しているスポーツ雪合戦チームはぼくら以外にほとんど存在しなかった。
そんな中首都圏で唯一定期的に活動を行なっていたのが埼玉県を拠点に活動している社会人雪合戦チーム「はだし部埼玉」さん(以下はだし部さん)だった。はだし部さんには早稲田雪合戦の会OBの方も在籍しており、そんな縁から練習への参加をお願いすると快く受け入れて下さった。
大敗を喫した冬からどれだけ成長を遂げているのかと期待に胸を膨らませ練習に参加した。軽くアップをした後に7対7の試合をさせて頂けることとなった。
「よーい、ピッ」
試合が始まった。と同時に前線へ向かったかずがアウトになっていた。すぐさまあべがカバーへ向かうが、あべもアウトとなった。試合開始から数秒で前衛部隊がコートから姿を消した。
前線へ雪球を供給するポジションを担っていたぼくには何が起こったか分からなかった。気がついたらかずもあべもアウトとなってコートの外にいたのだ。
結局、残された後衛部隊になす術は無く、そのセットは何もできないまま終了を迎えた。
「次はいけるっしょ」
何が起こったかを理解していなかったが故に、楽観的に次のセットへ臨んだ。
しかし次のセットでも開始から10秒も経たないうちにかずの姿もあべの姿もコートの外にあったのだ。
とにかくその日はほとんどのセットでシェルターへ入ることすらできなかった。試合開始と同時に鋭いストレートが前線へ向かう選手を襲うのだ。ストレートのスピード・コントロール、試合開始時の前への上がり方、全てにおいて次元が異なっていた。
それだけではない。壁に隠れた相手を狙うロブの精度、補球のタイミング、監督からの指示、全てのプレーが勝利のために最適化されていた。
「新山で勝利するとはこういうことか」
はだし部さんは雪合戦で勝利することの難しさをド直球で教えてくださった。
しかしぼくらは最高にワクワクしていた。普段の練習では顕在化しなかった様々な課題が明確に分かったのだ。成長の停滞を感じていたチームに対してポテンシャルしか感じられなかった。
帰りの車中はいかにして課題を解決するかで話題は持ち切りだった。皆自身の伸び代に期待感しか抱いていなかった。
どんなに高い壁にぶつかっても、壁を乗り越えるプロセスを皆で楽しむことができる。早大茶道部の好きなところの一つだ。
第2次成長期
はだし部さんの練習に参加させて頂くようになり、日々の練習の効果も高まっていった。
はだし部さんの練習で課題を洗い出し、強豪チームの試合映像からヒントを得ながら練習で技術を磨き、再びはだし部さんの練習で試す。
もちろんはだし部さんにはボコボコにされることが多かったが、見出される課題のレベル感が練習の度に上昇していくのが身にしみてわかった。成長を実感できることが楽しくて仕方がなかった。
あまりに楽し過ぎるため、時には無理を言って昼過ぎから夜の8時まで練習に付き合って貰うこともあった。さすがに代償は大きく、翌日大学生のぼくたちですら筋肉痛でベッドから身体を起こすのがやっとの状態であった。
そんなサイクルを秋口から繰り返し、雪合戦シーズンを迎える年明けにはチームはかなり仕上がっているように感じた。
「今年こそは勝てる」
大会が待ち遠しくて仕方がなかった。
(つづく)